Mulholland DINER

好きなものを思いのままに。ゲーム・映画・本は栄養。思ったことや考察などを書いていきます。

「シャザム!」見ました ※一部ネタバレあり

4/21に「シャザム!」見ました。

これはある日突然スーパーヒーローの力を託されたビリー・バットソンという少年の物語で、ただ強くなるわけではなく変身すると40歳くらい?の大人になり超人的なパワーを兼ね備えたヒーローになるお話です。

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あらすじ
14歳であるビリーバットソンは幼い頃母親と遊園地ではぐれてしまいそれ以来孤児となる。行き先の養家を転々とする彼は新たな養家に世話になる。その家の足の不自由なフレディをいじめっ子から助け、追ってから逃げ込んだ電車の中で不思議な体験をし、スーパーヒーローである「シャザム!」の力を授かるのだった。
早速ヒーローの力で遊ぶビリーたちだったが闇の力が徐々に彼らに迫るのだった・・・。


ヒーローとyou tube
ビリーとフレディはスーパーヒーローの力を録画し、それをyou tubeに公開します。その動画は数を増すごとに視聴者数も増え一躍人気者になり、町の人々も徐々に認識が広がりました。他人のスマホをビームで充電してあげたり、特殊な力を出すことで人を喜ばせたり、姿を隠して行動するというよりそれを大っぴらにしてパブリックな存在となっていきます。

2017年に公開した「スパイダーマン:ホームカミング」でも主人公であるピーター・パーカーはスパイダーマンでありますが、そんな彼もスーツに変身しているときは時折スマホで自身の動画を撮影していました。OPで「シビルウォー/キャプテンアメリカ」での空港の戦いを撮影したり、近所の人や困っている人を助け、その姿を写真で取られて新聞などに載っているのを見て楽しむ姿が見れました。この作品も自ら人前に出て注目されたいというティーンエージャーならではの気持ちがあふれていますね。

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2010年に公開された「キック・アス」でも主人公であるデイヴ・リズースキが緑色のスーツを着て「キック・アス」となり自警団活動をするのですが、ここでもその姿がyou tubeで拡散されTVでも報道されます。そしてデイヴはMy spaceにキックアス名義で登録し話題を集めるシーンが出てきますが昨今のヒーロー映画と動画配信サイト・SNSという存在は密接にかかわってきているように思います。

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昔のスーパーマンバットマンなどは、人前に出ることはあってもこのように自分から拡散するというシーンはなかったように思います。しかしティーンエイジャーが主人公でなおかつ10代特有の多感な時期だとやはり注目を集められたいもの。それを宣伝も兼ねた意味でネットにその姿を映すというのは若者らしさをとらえてとても面白いですね。

持つ者と持たざる者

この映画は冒頭、ヴィランの幼少期がまず入ります。彼は神殿に召喚されたとき欲望を試されますが、それに抗えず危うく魅せられるところで現世に帰されます。それ以来もう一度そこに行くために自らの人生を費やす過程が描かれます。
自力で神殿に行きDr.サデウスは闇の力を得ますがシャザムの力も得るべく、ビリーを追い回します。
また、ビリーの養兄弟であるフレディはシャザムの力を得たビリーに激しく嫉妬します。

この両者はある意味では主人公よりも純粋な存在です。それはすなわち純粋な憧れで、誰の心にもそれはある物。ヒーローを羨み、憎しみを
「何故自分が選ばれなかったのだろう?」「自分の方が資格がある」という心はどこか否定できる物でもなく、誰でもヴィランになるという危機感も感じられる。

魔術師シャザムは純粋な心の持ち主を待っていますが、正義感があるものとしての純粋さとただただ欲望をまっすぐに追い求める純粋さは主人公とDr.サデウスがまるでコインの表と裏のような存在であることがわかります。

ヴィラン=避けられない現実
前述の通りDr.サデウスはシャムの力を得るべくビリーの前に現れます。圧倒的な力の前に今まで力で遊んでいたビリーは怖気付き、とにかく逃げます。一切戦わずとにかく逃げ、結果的にフレディを巻き込む形にストーリーが展開していきます。ジリジリと主人公を追い詰めるサデウスは現実的な脅威として追いかけてきます。そう。それは避けては通れない「現実」。逃げても逃げてもひたすら壁となって襲い来る物。

途中本当の母親を見つけますがその実の親から拒絶され、突き放されてしまいます。そんなときにフレディーたち家族を人質にされるのを知り初めてヴィランに真っ向から立ち向かいます。それは避けられない現実から目を背けずに闘うことを決心した一人のスーパーヒーローになるのです。
最終決戦で力の差がありすぎ、負けそうになりますがフレディたちにシャザムの力を分け与えます。

一人で勝てないなら仲間と協力する。そもそも遊園地で実の親とはぐれてしまうビリーですが、彼にとっては遊園地=孤独の象徴でもあります。そこで仲間を得るということはここで初めて彼自身が過去を乗り越えたシーンに見えて感慨深いし、もう一人ではない。
彼自身が初めて他人を信じられるようになったからシャザムの力を分け与えるということは孤独からの脱却を意味していてとても感動的でした。
ビリーはこの時もう一人ではなく、本当の家族を得る瞬間でもあり、他の子供達もここで初めて「現実」に立ち向かう。

姿は大人ですが、周りの大人の力を借りずに子供達自身で困難に立ち向かうというのは自分で乗り越える大切さなどをさりげなくまぶしてあり好感を持てる作りでとても良かったですね。