2品目 :差別という名の普遍性
みなさんこんばんは。もう今年も3月に入るなんて信じられません。月日が流れるのが早すぎますね。
さて、今回は最近面白い映画を見たのでそれをだらだら書いていこうと思いますが一部本筋にかかわるネタバレが入っていますので、もしまだ見に行ってないという方は非推奨します。
3/4(日曜)に「シェイプ・オブ・ウォーター」という映画を見てきました。シナリオ全体が洗練された構成で、リテラシーが高い内容なので満足したのですが、これはデルトロ監督(以下敬称略)の幼少の頃に影響を受けた「大アマゾンの半魚人」に対するリスペクトを感じたのと同時に、多数側のマイノリティに対する差別というテーマも感じられました。
・マイノリティに対する抑圧
作品の舞台は1962年、米国とソ連が核開発競争をし、互いがにらみ合って血を流さない戦争、いわゆる「冷戦」と呼ばれる時代。清掃員であるイライザは偶然研究所で極秘の実験を目の当たりにします。その実験にはなんと、人外ならぬ半魚人が存在しており、ひょんなことからこの二人?は邂逅し、徐々に互いを理解し合うのですが…というお話。
まず目を引いたのが舞台造形です。1962年というと、ちょうど昔から現在に板挟みになったような時代だと勝手に思っており、テクノロジーや風土、街並みなどどこか懐かしく、それでいて技術の繁栄がそんなに古臭くないのもあっていい塩梅にスクリーンに反映されて独特の雰囲気を醸し出していました。
その時代には生まれていませんが、今の時代と違ってどこか華やかな、そして浮世離れしたような雰囲気の昔のアメリカの雰囲気がとても味わい深く、すぐにスクリーンを見入ってしまいましたね。
さて、この作品にはなにかしらの障害を持っていたり、立場が弱いキャラクターが出てきます。主人公のイライザは幼少期のトラウマから声がだせない人物です。ですので他人と意思疎通するときは手話を活用します。
イライザの友達で売れない画家のジャイルズは同性愛者であり、行きつけのダイナーの店員に恋をしています。
同僚のゼルダは黒人であり、やはり少数派側の立場の人間です。
ソ連側の人間であるホフステトラー博士はなんとかして半魚人を逃がしたいと思っており、やはり組織の中では孤独な存在です。
様々な立場からマイノリティな存在である彼らがこの世の中で唯一の人ならざるものである「彼」を助けようとします。それは、マイノリティが最大のマイノリティである「彼」を助けることによって周りの「普通」である組織の人間たちよりも芯が強いことの表れのようにも見えますし、実際に施設から助け出すことが成功することは少数側の勝利ともいえますね。
個人的には、半魚人の「彼」の存在感は普通という大多数の眼から見た少数側(マイノリティ)の異様性が擬人化したものかもと勝手に思いました。
劇中では半魚人だったが、これは私たちの世界の問題とも当てはめて考えることができると思います。健常者と障碍者、黒人と白人、同性愛者と異性愛者、人種が違う者同士のかかわりなど私たちの日常にも常に差別が少なからずあり、衝突が起きています。その問題を「彼」を中心としたイライザたちと、エリート軍人であるストリックランドの関係性にも当てはめることができます。
警棒を持つストリックランドは多数派の現れであり、イライザたちと「彼」に対して弾圧をかけます。劇中で警棒でぼこぼこにするシーンがあるますがそれは昔からある白人が黒人に対して暴行を加える事件の象徴でもあります。「普通」な人が「普通」という警棒でthe others(非主流派)な人々を抑圧する。差別は昔から行われており姿が違うだけで暴力を加えられる。極めて普遍的であると同時に悲しくなります。パンフレットのインタビューでもデルトロはこう語っていました。
(デルトロ)「フランケンシュタイン」を見たときも村人たちに殺される人造人間が迫害された救世主に思えた。モンスターたちは普通であることに殺される殉教者だ。(中略)モンスターは完璧であることに迫害された聖人なんだ。人間は白か黒かとはっきりしろと迫られるのは恐怖でしかない。その点、モンスターは寛大だ。
人間が同じ人間を憎しみや暴力で支配する。人は他人に対して大多数と同じように行動しろといういわゆる「普通」を求めます。そしてさもそれが世の中の規範になり「常識」という考えになります。今作はそんな中で、「彼」の姿かたちは半魚人という生々しい見た目です。文字通りモンスターで、人間のように本心を隠すような存在ではありません。だからこそ純粋無垢な姿として描かれると思います。デルトロの言うように、怪物というのは言葉を持たず、存在そのものがあるがままの真実なのかもしれませんね。
また、観賞中にふと思ったのですが、「バスルーム」というのも大事な要素の一つだと思いました。イライザは「彼」と親交を重ねるにつれ本当に恋愛関係になり、バスルームで二人きりになった時本当に身も心も「彼」と重なります。デルトロの過去作でもある「パンズ・ラビリンス」にも主人公であるオフィリアが迷宮の番人であるパンから受け取った本を見るときはバスルームに行って中身を確認するシーンがありました。これはこの世のものではないものとの交信の時は身も心も清められるバスルームという清潔な場所だからこそ可能だったのかもしれません。
そして「彼」を脱出させるために自分の体をかけて助け出すことも共通していると感じました。「パンズ・ラビリンス」では最後パンやヴィダルに屈せず、自分の弟を助けるためにオフィリアは自分を犠牲にします。「シェイプオブウォーター」でのイライザも、「彼」を助けるために自分が犠牲になります。これはオフィリアの弟も「彼」も守るべきイノセントな存在であることの象徴だと思いました。
「シェイプオブウォーター」は冷戦、「パンズ・ラビリンス」ともう一つの過去作である「デビルズバックボーン」ではスペイン内戦という戦争を舞台にした世界観ですが、だからこそ声なき者の声を代弁したような作りだなと思いました。
陰鬱な内容ばかりかといえばそんなことはなく、笑えるところは笑えるし、ちゃんと落としどころをわかっている監督の力量のうまさに圧倒されアカデミー賞を取ったことも納得するような作品でした。