Mulholland DINER

好きなものを思いのままに。ゲーム・映画・本は栄養。思ったことや考察などを書いていきます。

The Last Of Us 2 レビュー

作品の続編とはどのように作るべきだろう?---前作で残った複線の回収?新たな敵の追加?操作性の拡張性?キャラクターの過去の深堀り?選択肢は豊富にある。しかしそれがただの続編ではなく「完璧に」完結させた作品の続編だとするならばこれは一筋縄ではいかない。

The Last of Us Ⅱ」は2013年に発売された「The last of Us」の続編だ。謎の感染症が起きパンデミックが起こったアメリカを舞台にまったくの他人同士であるジョエルとエリーが感染者や武装した人間から生き抜く話である。血がつながっておらずまったくの初対面である二人が極限の状況を生き抜く間にまるで本当の親子のような絆が結ばれるという展開はこのゲームをプレイした多くの人の心を掴んだ傑作だ。ゲーム史に残るマスターピースと言われた1作目は全世界で200以上のゲームアワードの賞を総なめした。


今作のThe last of Us Ⅱ は前作から5年たった世界を描いている。前作を生き延びたジョエルとエリーはジョエルの弟であるトミーがリーダーを務めるコミュニティ町であるジャクソンで平和に暮らしていた。しかしある出来事が起こり彼女らの生活が一変、エリーはその復讐を果たすべくシアトルへ旅立つ---


ほんの数日前にこのゲームをクリアした。そして今こうして筆を執っている。率直に申し上げるとかなり評価が複雑だ。決してつまらないわけではなく、ゲームの面白さ自体は保証されておりクオリティは抜群に高い。いやかなりトップレベルだ。しかしそれはゲーム性だけで見ると、だ。間違いなく「賛」だ。しかし本作のストーリーのそれは自分の中でもかなり揺れた。それはこうしてゲームをクリアした現時点においてもいい部分と悪い部分の葛藤がすごい。素直にほめる部分もあるし実際にゲームをプレイしてみて良いところもある。しかしそれ以外の、特にエリーに対する今作の描写は果たしてあれでよかったのか?復讐に駆られ果てしない死闘を繰り広げ最後にある行動を下す。それを見届けたが自分の中で無理やり納得させられた終わりになった。理解はできるが何かの見込めない感情があるのは事実だ。それを書き込んでいこうと思う。なおこの感想は自分の100%の主観で思ったことのみを書いていく。もちろんこの感想がすべてではないということはあらかじめ説明しておく。

・ジョエルのあっけない死

前作の「TLOU」は序盤のいたって普通の家で暮らすところから始まりパンデミックが起きて町が崩壊していくところが一つの風景として描き出される。一瞬で平穏さが失われる絵作りは緊迫感にあふれその逃走劇の最後に待ち受ける悲劇にはだれもが呆然とせざるを得ないだろう。そして月日は流れ完全に廃墟と化したアメリカでの生活感がプレイヤーの前に現れる。ジョエルはレジスタンス組織である「ファイアフライ」からエリーという名前の一人の少女をある地点まで運んでほしいと依頼を受け、長い旅路を共にすることになる。

TLOUは全くの接点がないジョエルとエリーが死闘を共にするにつれてまるで本当の親子のように見えてくるのが最大の魅力だった。しかもセリフで全く説明することがなく映像で説明する。切れ目があったのにいつの間にか二人の距離が埋まっている。どこからどこまでという野暮なものなどなく滑らかな描写でその脚本力や人間描写の力量はすさまじい。

The Last of Us」というタイトルの意味、これは直訳すると「私たちの最後」という意味だがまさに終盤、ジョエルの取った行動が果たして正義なのか、悪なのか、という問いと直結する形となっている。それは片方から見れば一見正しいように見える。しかし相手側からしてみればたまったものではない、希望が打ち砕かれるような行為。果たして最後に取った行動が100%正しいのか?万人に聞かれて万人とも同じような答えなのか?正解かどうかわからない。ただジョエルの信念はプレイヤーから見てもエリーから見てもその信念を否定はできない。だからこそ心が掴まれる。そんなラストだった。

そして今作はその前作のラストのジョエルが起こした問題がある問題と直結して描いている。ある行動を起こしてある惨事が起きてそれが破滅への道のトリガーになることがわかる。ゲームが始まってエリーのキャラ操作から始まり途中で新キャラであるアビーに切り替わる。ある程度進めるとアビーの目的がある人物への復讐だということがうかがえる。それがジョエルだということが会話の節々で分かってくるのだがアビーとジョエルが出会うタイミングが間を置かずに唐突に出会うのが気になる。というよりもジョエルがアビーに吸い寄せられた形か。アビーがコミュニティ町である「ジャクソン」を見下ろせる崖に立ち、そこから町に向かうのかと思いきや吹雪に見舞われ探り探り散策する。その結果ジョエルが陣を張っているキャンプ地に「迷い込む」。そこがあまりにも都合がよく唐突に描かれる。大事な部分、じわりじわり見せていくいわゆる「タメ」の部分がなくばったり出会う。その温灸さが垣間見れないのがまず気になった。ばったりと出会ったジョエルとアビー。彼らは感染者が迫りくる場所から命からがら逃げる。「何かいい場所はないか?」と尋ねるジョエルにアビーが「いい場所があるよ」と自らの仲間が待ち受ける「家」にジョエルらを誘い込む。それがゲームが始まって1時間もしないうちに復讐という目標が達成される。あっという間だった。いやもっと短いスパンで終わる。父性的な象徴であるジョエル殺害を序盤に持ってくるのはインパクト狙いでもプレイヤーの憎しみを湧き出すエッセンスという意味でも最初に持ってくる気持ちはわかる。でも如何せん導入の仕方が雑だったように思える。もっとジョエルを操作したりエリーとの交流を楽しみながらゲームを操作したかった。余韻を楽しむ前に終わったのは残念に感じる。


・エリーの存在そのものやエリーの起こした行動、ジョエルの存在すべてがアビーのキャラ付けの前座に感じた。

本作はエリーとアビーの関係がコインの裏表のように描いているのが特徴だ。まず最初はエリーがシアトルについてからが一日目として始まり、3日目にアビーと再会するまでを一つのシークエンスで区切る。エリーはアビーたちがシアトルで活動するWLFという組織であることを突き止めシアトルまで出向きアビーの仲間を殺していきながら徐々に追い詰めていく。
ゲームを進めいていく過程で分かるのだがエリーの行動が進めば進むほどエリーの印象が下がっていく。WLFの手下を何十人も殺しアビーの身近にいたキャラをどんどん手にかけていく。敵側のキャラに救いの手を差し伸べたりする「惰性」もない。ただ人を殺していく。

エリーの話を貫いていけば説得力はあるように見えた。しかしアビーと再会するところで物語はアビー視点として第二部が始まる。アビーを憎いまま終わらせるのではなく、アビーの人生をそこで追体験させる。エリーが1日目~3日目までの話を作ればアビー編も同じように1~3日目までを追体験させる。そこまではいい。しかしアビー編はアビーの素朴な純粋さ、仲間を大切にする心意気、純粋なまでの気遣い。すべてがいい人として描かれる。そしてアビーの所属するWLFと抗争を繰り広げている「スカー」と呼ばれる団体の少女たちを自分の命を懸けてまでも守る。たとえ戦争をしている相手でも情をかける。ここで思ったことは「エリーとして」物語を進めているはずがそのプレイヤーがしたことを否定された気持ちになった。

真逆のストーリーラインをしようというのはまだいい。エリーの3日目のアビーとの対決間近で話を中断させアビーの視点に代わり同じように1日目から3日目までの時間を体験させそのままアビー側でエリーを倒させる展開は「アビーというキャラの正当性」を確立させようと描いているようにしか思えずどっちの立場で話を描きたいのかが不透明な印象に思えた。

・エリーを追い詰めるような話の展開

そしてエリー一人につらいことを押し付けすぎるように感じた。前作のラストでエリーは自身がウイルス解決のカギになると信じており自分を犠牲にしてワクチンを作ろうという決断をしていた。しかし寸前でジョエルにその行為を「止められた」。そして2の冒頭ではジョエルと喧嘩をして関係が冷えているところから話が始まる。彼女自身のウイルスの抗体持ちがこの物事を解決するかもしれないというアイデンティティを失った状態でさらに追い詰めるのはとても残酷に感じ、「ひょっとしてエリーというキャラクターを殺したいのでは?」と思わずにはいられない。
そして新キャラのディーナも問題がある。なぜ妊娠していることがわかるのに一緒に来ようと思ったのか?間違いなくエリーの足手まといになるはずなのにそれを隠してでも一緒に来たのは無責任。

シアトルの3日目、アビーと対峙したが仲間は一人殺され、トミーはケガをし、そしてエリーはアビーとの対決に敗れ故郷に帰るエリー達。そこにトミーが訪れ復讐をもう一度果たそうとエリーに問いかける。しかし自分は負傷して同行できないと告げる。エリーもディーナと落ち着いた生活をしており当然躊躇する。それをわかっているのに焚きつけるのは大人のやることか?自分が提案したのなら自分も付き合うべき。それなのに無責任すぎる。そのやり取りがあるから二回目の復讐の旅は無理やり連れだされた感じがした。そして二度目のエリーとアビーの死闘。ジョエルの顔を思い出しアビーの命を奪うことをやめてアビーたちを逃がす。自身の左側の薬指と小指をなくすのに引き換えて。指がなくなったということはギターが弾けなくなる。唯一ジョエルとのつながりであるギターを弾くという行為そのものすら奪われる。家路についたらディーナは出ていき一切の家具も持っていかれた。あるのは空っぽの家のみ。エリーも家を出ていく。徒労に終わった。全部が。

復讐の果てに許すという決断を描きたいというのは感じ取られた。しかしその「結」にいたるまでに無理やりに納得させられたという印象が自分の中で強く残った。結果的にエリーがジャクソンを旅立つ前よりも圧倒的に状況が悪くなり孤立させられ挙句の果てに「The Last of Us」という作品から追い出されたように思えた。居場所も全部奪われ制作者から迫害されたようなそんな無慈悲さは十二分に伝わる。なんというか、エリーに対する愛情が今作の作り手側には果たしてあったのだろうか、と疑問を持たずにはいられないそんな作品だった。最後には燃えカスのような、焦げすぎて原型がよくわからない燃焼されたものしか残らなかった。


長所
風景の美しさと文明の退廃との親和性
戦闘の幅の広がり方
「復讐」のやり方の徹底さ

短所
エリーというキャラの蔑ろさ
新キャラの描き方の物足りなさ
エリーとアビーを主軸に置きすぎて新勢力の描き方が遅れた印象に見えたところ

総評
TLOU2は伸びしろは感じられたし面白いところは多々見受けられた。しかし前作で話がきれいに完結しすぎてその続編にしては要求される様々なハードルを乗り越えるには高すぎた。戦闘の多様性や思った以上に泥臭いマップの作り込みやキャラクターとのぶつかり合いはとても好印象であるが「復讐」というものを突き詰めようとしてそれ以外のものまで引きずられた印象になってしまった。