Mulholland DINER

好きなものを思いのままに。ゲーム・映画・本は栄養。思ったことや考察などを書いていきます。

4品目:カムイと5人の殺し屋 後編

 みなさんこんばんは。今回は2品目で書き綴った、カムイという存在を自分が今まで見た映画やドラマの犯人、または殺し屋と比較して見比べようという話の後編です。

紹介する映画は

ノーカントリー(2007年)

・CURE(1997年)

ケイゾク(1999年)

ジャッカルの日(1973年)

虐殺器官(2016年)

の5作品です。

 

後編では、5つの映画を通してカムイを見ていこうと思うのですが、大まかに共通点が次の二つの分野に分類できます。それは

・「殺し屋」としてのカムイ(ノーカントリージャッカルの日

・「犯罪のウイルス」としてのカムイ(CURE、ケイゾク

・24区に「調和」をもたらすもの(虐殺器官

です。まずは1つめの「殺し屋」としてのカムイに注目して書いていこうと思います

 

まず最初にご紹介する作品は2007年公開の『ノーカントリー』という作品です。監督は『ファーゴ』やバートン・フィンク』でおなじみのジョエル・コーエン」と「イーサン・コーエン」兄弟。

「ノーカントリー」の画像検索結果

 

ストーリーは1980年のアメリカはテキサス州西部が舞台。ベトナム帰還兵であるルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は麻薬取引の末銃撃戦に発展した殺人現場を偶然遭遇します。彼はその場にあった札束の詰まったスーツケースを発見し自宅に持ち帰りますがブリーフケースには発信機が入っており、組織から金の発見を受け持ったシガー(ハビエル・バルデム)に追われる羽目になり・・・という話です。

なぜこれを紹介したかというとこのシガーという殺人者とカムイがどちらもこの世から逸脱した存在、つまり存在しているようで存在していないものだと思っているからです。シガーは金を探す道中、出会った人間を片っ端から殺します。彼が去った後は死体が残るのみ。まるで嵐が来て街を荒らして去っていくがごとく、それ自体が生きる災害として描かれています。シガーの殺人はすべて金を取り返すという目的のための手段ですがそれが第三者から見るとなんのために殺戮を犯しているのかがわかりません

         

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これがシガー。無表情で、銃を瞬きせずに撃つ姿はこの世の物とは思えないくらい不気味で鬼気迫るものを感じます。

対してカムイはどういうことかというとcase#5「ライフカット」の冒頭、モリシマトキオのセリフから読み取れます。カムイは精神病院を脱走する際に警備員を複数殺害し1か月の潜伏期間を経て国家重要人物7人を殺害します。殺す対象は違えど両者とも殺戮の限りを尽くし疾風のごとく次の標的に向かう様は共通しているなと思いました。

また、カムイが作られた理由としては作中でFSOという非営利組織の切り札であるという事実が判明します。シルバー事件の時代設定としては1999年です。この時代はネットワークが復旧し始めサイバー犯罪の芽が咲き始めた時代でした。事件は3次元の空間だけではなく、ネット空間にも感染(うつ)り始めたときにその流れに逆らうような、ある意味で前時代的な殺人を復活させます。彼の殺し屋としての本能は彼なりの行動原理を生み出し、ダイレクトな殺人を犯すのは彼独自のルールのように感じます。

シガーは原作者のコーマック・マッカーシーに言わせると「純粋悪」「暴力」の象徴で映画版を演出したコーエン兄弟は、インタビューで「理不尽な世界」そのもの、という言い方をしてます。

カムイもまた同じように、殺し屋として作られたという意味では「暴力」の象徴でもあるし、殺された警備員たちや24区に住んでいる人々から見れば「理不尽」な存在であることに変わりありません。そういう意味ではどちらも死と混沌を産み出す存在なのではないかと思いました。

シガーを追う保安官のベルは、死体の山を築き上げるシガーのことを本当にいるかわからない幽霊のようなものだと言います。対してカムイも彼自身が過去に起こした「シルバー事件」の首謀者であり、その存在は一部の警察関係者しか知りえませんでした。ですので、カムイが復活したことを、「カムイ?あのシルバーの?」とモリカワが言うようにカムイも噂あるいは都市伝説のようなものと捉える人が多かったのではないかと思います。

二つ目は『ジャッカルの日』という作品です。

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ジャッカルの日』は1973年に公開された作品です。

概要としましては、1960年のフランスが舞台です。フランスの大統領であるシャルル・ド・ゴール暗殺を企てる武装組織「秘密軍事組織OAS)」が雇ったプロの暗殺者である「ジャッカル」と、大統領暗殺を阻止しようとするフランス官憲の追跡劇を描いた話です。

 

OASと呼ばれる武装組織の中枢が壊滅状態になるところから話が始まるのですが、組織外からある殺し屋を呼ぶことに決めます。本名、年齢共に不詳ですがとても若々しく、狙撃が超一流で要人暗殺の依頼もビジネスとして請け負い、実績を積んでいる男。彼は「ジャッカル」というコードネームで呼ばれることを望み、暗殺を請け負います。一方、フランス官憲は捜査のために、績豊富な老刑事であるルベル警視にその任務を一任します。ルベル警視は、その個人的な伝手も用いて、ジャッカルの正体を洗うべく世界中の警察に問い合わせを行い、どうやらあるイギリス人らしいことを知ります。

全編にわたる追跡劇の最中、ルベル警視はやっとのことでド・ゴール暗殺の決行日を知ることができ、暗殺寸前のところで止めることに成功しました。

後日、「ジャッカル」と呼ばれる男を埋葬するのですが、かねてより容疑者ジャッカルとして内偵を行っていた人物はアリバイがある実在の別男性と判明。狙撃犯の本性や経歴は謎のままこの話は終わるのですが、ここを見てもカムイと共通点がいくつかあることが見受けられます。

 

そう。「ジャッカル」とカムイ。どちらも殺し屋であることもそうですが、政府高官を狙うところも一致していますね。まあ、ここはありきたりかもしれませんがもう一つ重要なところがあります。それは両者とも過去がないところです。言うなればシガーもジャッカルもカムイも過去を殺していると思います。

ジャッカルは前述で書いたように年齢や過去、本名が一切明かされないまま登場し、やはり判明しないまま映画が終わります。そして『ノーカントリー』におけるシガーという名前。シガーの綴りをアルファベットで検索してもノーカントリー以外の検索は出てきません。

つまり、存在していない名前ということになります。これは完全に憶測ですが、カムイという名前は果たして本名なのか?という所です。本編を最後までやった方ならわかると思いますが、喫茶店のシーンでテツさんがアキラにテツさん自身が知り得たシルバー事件の真相が明らかになりますがそこで伝えられた言葉を見るに一番最初の、殺し屋としてのカムイのモデルケースとなる人物(フォーマットカムイ)は銀の目の所有者であるがゆえに老人たちに殺されました。出身や生年月日、本拠地さえ明らかになっておらずただ「民間人のカムイ」としかプレイヤーは知るすべがありません。なぜあの場にいたのか、なぜ銀の目を持っていたのかなど、過去が一切明かされずに終わります。まあ、本人の名前が確認できるものを持っていれば話は別ですが、何も証明するものがなければ「カムイ」という名前も存在しないことになります。そういう意味では『ノーカントリー』のシガーと『ジャッカルの日』のジャッカル『シルバー事件』のカムイ。どちらも本名ではないし虚構の存在ということにもなりますね。

 

・犯罪の伝染

シルバー事件の世界には「犯罪の感染」という思想があります。case#1「ルナティクス」でテツさんが次のようなセリフを発します。

なぜこいつらを処分するかわかるか?処分ってえのはこの世から切り取ることだ。人の目にさらすことなくこいつらを存在そのものを消すんだ。こいつらのまき散らす犯罪のウイルスを元から断つ。人格の抹殺だよ。己らがやっていることは。

 

「犯罪」というのは自発的なものであるものと実際に犯罪に影響を受けて二次災害的に起こるという様々な側面があるということだと思うのですが、他人に影響を与えないように惨たらしく「処理」する凶悪犯罪課の行動は、犯罪の抑止という意味では理にかなっているように思えますね。

さてここから紹介する3本の映画はどれも、「犯罪」という名のウイルスをばらまく存在がでてきます。case#4「カムイドローム」では、実際にネットを媒介にしてカムイの存在を知り、その計り知れない大きさに影響を受けて実際に犯罪を犯すキャラクターが出てきます。「カムイ」もこれから紹介する三つの映画の犯人のように他人に影響するほどの力を持っており、カムイという像(イコン)は悪意や災害の象徴だと自分は解釈しています。

 

3本目は「CURE」(1997年)という作品です。

話はある日首から胸にかけて×字型に切り裂かれた死体が発見されるところから始まります。犯人は現場で逮捕されますが、なぜ被害者を殺したのかその理由を覚えていませんでした。その事件以降、酷似した事件が多発するようになり・・・というお話。

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この物語の序盤、浜辺で一人の記憶喪失の男(萩原聖人)が佇むシーンがあります。それを偶然同じ浜辺にいた小学校の教諭の男性に発見されます。男は男性にしきりに名前を聞きます。「あんた、誰?」と。男性は自分の名前を名乗りますが男は「ふーん、そうなんだ。・・・であんた誰だっけ?」としきりに、まるで最初から聞いてないかのようなそぶりで他人に名前を問い続けるのです。記憶喪失ですから自分の名前も思い出せません。ですので男性が彼の服を見たとき「間宮」と名前が記入されている箇所を見つけます。「間宮と書いてあるのですからきっとあなたは間宮という名前なのでしょう」男性はそう「間宮」に対して教えるのです。

主人公の高部(役所広司)は相次ぐ×字の傷の捜査を続けていくうちにどの被害者も間宮と犯行前にあっていたことが判明。警察署に連れて行き尋問します。

間宮は催眠術を使うことにより相手の本心をさらけ出し殺意を施す術を持っています。彼を保護した交番の警官は同僚の警官に不満を持っていますし、間宮が訪れた病院の女医は研修医時代に男性の遺体を解剖したのをきっかけに男を解剖したいという欲求があります。つまりその人の心の内にある不満をさらけ出させることによって本人に救いを与えるということになります。それは犯罪を媒介させる一種のウイルスと言ってもいいかもしれません。

劇中では×印ですが、見方を変えれば十字架にも見えます。十字架というのは救いの象徴とも読めますし、間宮の「癒し」の行為がそのままま十字架という形となって相手に伝わったのかもしれません。

 

 ・名前という「顔(ペルソナ)」

少し本題からずれますが、人は自分を証明するために名前を使います。名前というのは人間が生まれて最初に与えられるもの。それにより自我が確立され、その世界に誕生することになります。言わば名前というのはその人の「顔」だととらえることができます。しかしその名前がなくなったら?何も自分を証明するものがなくなり自分のパーソナリティというものがこの世から消えるといっても過言ではありません。また、それが本名でない場合、偽名である可能性も生じます。偽名というのは言うなれば「仮面」。しかし同時に自分のことを証明できない場合、名前というのは「仮面」のようなものととらえることはできないでしょうか?

機動戦士ガンダム」(1979年)に「シャア・アズナブル」というキャラクターが出てきます。彼は常時仮面をかぶっており、ライバルでこの物語の主人公である「アムロ・レイ」と熾烈な戦いを繰り広げます。

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 彼はアムロ側である地球連邦軍と戦うというほかにもう一つ、大いなる使命を背負っています。

 シャアの特徴である「仮面」。それは素性を隠すという意味ではなく仮面をかぶることによって「本心」を隠しているのです。その「本心」とは、自分の父親を殺し、自分と妹のアルテイシアを迫害したザビ家に対しての復讐。そしてシャア・アズナブルというのは偽名であり、本名は「キャスバル・レム・ダイクン」。つまり本心と本名。その二つを仮面の下に忍ばせ、彼は行動します。

その証拠に後の劇場版三部作の「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編」でキシリアという自分の上司に部屋に呼び出された後、仮面を外しキシリアに対して本心を話すというシーンが出てきます。

『CURE』の間宮は最初自分の名前すら忘れており、自分を証明する術を持ち合わせていません。しかし「間宮」という名前を教えてもらったとき、「そうかもしれない」と興味なさそうに言います。相手の名前を聞きたがるのに、何回説明しても「名前」を聞きたがるのですがそれは、名前以上の、自分のことを証明できるかという本心を知りたいがゆえに何度も問い詰めると思うのです。

カムイは作中、伝説の殺し屋と思われていますが原型となったカムイと思わしき人物はただの一般人であることがわかります。カムイはもはや、個人の名前ではなく「殺し屋」としての通称に変わってしまいました。シルバー事件を起こしたと思われている「カムイ」という名前は間宮と同様、それがカムイ自身の本心とはかけ離れた存在ということも言えるでしょう。

 

 犯罪の感染は「ケイゾク」にも同じ事が言えます。『ケイゾク』(1999年)は迷宮入りした事件を担当する警視庁のある一課に配属になった東大卒の柴田(中谷美紀)と元公安の真山(渡部篤郎)のコンビが事件を解決していくというお話。 

 

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ストーリー展開は前半と後半の二つに分かれ、前半は持ち込まれる事件を解決していく刑事ものとして描かれるのですが、後半は真山と快楽殺人犯である朝倉との因縁が描かれるという構成になっています。

朝倉は暗示によって相手を意のままに操る能力を持っており、暗示をかけ相手の潜在意識に干渉し、無意識的に殺人・自殺を行わせることができます。そう、朝倉もまた、犯罪を広める存在であり、感染させることができると推測できます。

24区の世界でも「犯罪」の感染性があり、ニュースを通じたりネットの掲示板を通じてそれを見たものを犯罪に駆り立てます。カムイのカリスマ的な犯罪行為は、神格化され「カムイネット」と呼ばれる一種の電脳空間を作り出します。それはいかにカムイの信者が多いのか、カムイの影響力の大きさが伺えますね。

間宮の相手の話を聞き出し洗脳を施す「癒し」と朝倉の「暗示」、24区の伝染性犯罪及びカムイの影響性。両者とも他人を犯罪に駆り立てるという意味では同じと言えるのではないでしょうか?

・「調和」をもたらすもの

5つめは「虐殺器官」(2016年)という作品です。

「虐殺器官」の画像検索結果

 

これは9.11のテロ以降の話で、先進諸国はテロ対策のため徹底的な管理を施します。その一方で後進国では内戦や紛争が多発。主人公であるクラヴィス・シェパード大尉はこの内戦の裏に大量虐殺を指揮していると目されている人物、「ジョン・ポール」を追跡するというお話。

この世界には徹底的なID管理が行われており、個人認証がなければ買い物や交通機関にも乗れないというねずみ一匹通さないような「監視」が行われていることが描かれています。

この話の終盤、なぜジョンが様々な国で、しかも後進国のみで虐殺を誘発させているか、そしてその目的について主人公に明かします。それは自分の生まれ故郷であり愛すべき国であるアメリカを守りたいという決意の名のもとに、テロを起こす予兆のある国に内紛を起こす。つまり、アメリカ国内でテロを起こさせないために外国に「虐殺」を押し付けるという考えに至りました。彼は言語研究を行っている学者でもあったのですが人々の中に虐殺を起こさせるトリガーを意図的に起こすことを発見。それが「虐殺の文法」。これを使い他国に虐殺をばらまき始めるのでした。

ジョンは最後、味方の兵士に撃たれるのですが主人公は最後に「虐殺の文法」を受け取っています。そして聴聞会で「虐殺の文法」を発動し米国内で紛争を起こし、今まで他国にテロや虐殺を押し付けていたことに対する責任を取ることを選択します。 ジョンによる他国への「虐殺」に対するクラヴィスの米国に対する「虐殺」。立場は違えど、そうすることによって世界に対して「調和」を保ったという結果になりました。

24区の市長であるハチスカ・ウミノスケはある目的を掲げます。それは24区に住む人間が犯罪を起こさず、まったくクリーンな人間ばかりをそろえること。

適正な生活環境を区民に与え、不適切な区民を抹消すること。犯罪発生率の高い区民サンプルを照合し、データ化して検索し徐々に環境を奪う。まったくの無害で従順な優良種たる「市民」を選別するという選民思想を抱えて町作りを行います。それを行うためにある計画を立ち上げます。「シェルターキッズ政策」。これは完璧な都市計画をよりパーフェクトなものにするための駒となること。

さらに天才的なプログラマーであるネヅを使い、意のままに24区を作り替えます。

24区は従順な市民を欲して作られた一種の創造物であり、壮大な実験場。そんな中で「シェルターキッズ政策」というのは結果的に24区という街そのものを死と破壊と混沌に巻き込んでしまいました。適切な従順なる市民を作り出すための政策がカムイという「犯罪」をばらまく邪神を生み出してしまった。カムイという存在は言わば、ウミノスケの完璧な街作りに対するカウンター装置として24区という虚像のシステムを破壊するために舞い降りたのかもしれません。

ジョンポールはアメリカを守るために他国に虐殺をばらまいた。そこはウミノスケの「シェルターキッズ政策」とある意味では立場的に近いと思いますし、そのジョンポールの意思を受け継いだシェパードが最後に米国内で虐殺器官を発動させ、他国ではなく米国に死と破壊と混沌を生み出したことは24区に舞い降りて殺戮を繰り返すカムイの姿と重なると思うのです。

 

 ・終わりに

いかがでしたでしょうか?カムイという存在は一言では表せない存在です。カムイはアイヌ語で「神」という意味です。今作のカムイも一部では神のような扱いを受け、神格化されています。

カムイは神そのものもあり神話のようなものではないでしょうか?作中でも様々な違う人物によってカムイが映っており、姿かたちを変えて24区の人々の中に語り継がれています。ある時は有名な犯罪者。ある時は救世主。ある時は信仰の対象。見るものによって意味合いが違うのは妖怪の鵺のようでもあります。「ルナティクス」でナツメが言ったセリフの中に「カムイは隣人だ」というセリフがあります。プレイしている最中に自分は、最初誰の心にも宿る殺意をカムイという表現にしたのかと思いました。だからこそ誰にでもカムイになる可能性がある。しかし、シェルターキッズが町に解き放たれ行方が知れず、カムイが街の住人に溶け込んだからこそ自分の隣人がカムイである可能性が高いという推論もできるなあといろいろ考えてしまいました。今回は映画やドラマを5本紹介したのですが、他の映画を見ればまた違った感想も出ると思います。カムイというのもまた、一つの意味にとどまらず普遍的な存在であり、様々なものを象徴して描かれる存在だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

2品目 :差別という名の普遍性

みなさんこんばんは。もう今年も3月に入るなんて信じられません。月日が流れるのが早すぎますね。

 

さて、今回は最近面白い映画を見たのでそれをだらだら書いていこうと思いますが一部本筋にかかわるネタバレが入っていますので、もしまだ見に行ってないという方は非推奨します。

 

3/4(日曜)に「シェイプ・オブ・ウォーター」という映画を見てきました。シナリオ全体が洗練された構成で、リテラシーが高い内容なので満足したのですが、これはデルトロ監督(以下敬称略)の幼少の頃に影響を受けた「大アマゾンの半魚人」に対するリスペクトを感じたのと同時に、多数側のマイノリティに対する差別というテーマも感じられました。

 

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監督 ギレルモ・デル・トロ 脚本 ギレルモ・デル・トロ ヴァネッサ・テイラー 原案 ギレルモ・デル・トロ 製作 ギレルモ・デル・トロ J・マイルズ・デイル 製作総指揮 リズ・セイアー 出演者 サリー・ホーキンス マイケル・シャノン リチャード・ジェンキンス ダグ・ジョーンズ マイケル・スタールバーグ オクタヴィア・スペンサー 音楽 アレクサンドル・デスプラ 撮影 ダン・ローストセン(英語版) 編集 シドニー・ウォリンスキー(英語版) 製作会社 Bull Productions 配給 フォックス・サーチライト・ピクチャーズ 日本の旗20世紀フォックス

 

 

・マイノリティに対する抑圧

作品の舞台は1962年、米国とソ連が核開発競争をし、互いがにらみ合って血を流さない戦争、いわゆる「冷戦」と呼ばれる時代。清掃員であるイライザは偶然研究所で極秘の実験を目の当たりにします。その実験にはなんと、人外ならぬ半魚人が存在しており、ひょんなことからこの二人?は邂逅し、徐々に互いを理解し合うのですが…というお話。 

まず目を引いたのが舞台造形です。1962年というと、ちょうど昔から現在に板挟みになったような時代だと勝手に思っており、テクノロジーや風土、街並みなどどこか懐かしく、それでいて技術の繁栄がそんなに古臭くないのもあっていい塩梅にスクリーンに反映されて独特の雰囲気を醸し出していました。

 その時代には生まれていませんが、今の時代と違ってどこか華やかな、そして浮世離れしたような雰囲気の昔のアメリカの雰囲気がとても味わい深く、すぐにスクリーンを見入ってしまいましたね。

 

さて、この作品にはなにかしらの障害を持っていたり、立場が弱いキャラクターが出てきます。主人公のイライザは幼少期のトラウマから声がだせない人物です。ですので他人と意思疎通するときは手話を活用します。

イライザの友達で売れない画家のジャイルズは同性愛者であり、行きつけのダイナーの店員に恋をしています。

同僚のゼルダは黒人であり、やはり少数派側の立場の人間です。

ソ連側の人間であるホフステトラー博士はなんとかして半魚人を逃がしたいと思っており、やはり組織の中では孤独な存在です。

様々な立場からマイノリティな存在である彼らがこの世の中で唯一の人ならざるものである「彼」を助けようとします。それは、マイノリティが最大のマイノリティである「彼」を助けることによって周りの「普通」である組織の人間たちよりも芯が強いことの表れのようにも見えますし、実際に施設から助け出すことが成功することは少数側の勝利ともいえますね。

 個人的には、半魚人の「彼」の存在感は普通という大多数の眼から見た少数側(マイノリティ)の異様性が擬人化したものかもと勝手に思いました。

劇中では半魚人だったが、これは私たちの世界の問題とも当てはめて考えることができると思います。健常者と障碍者、黒人と白人、同性愛者と異性愛者、人種が違う者同士のかかわりなど私たちの日常にも常に差別が少なからずあり、衝突が起きています。その問題を「彼」を中心としたイライザたちと、エリート軍人であるストリックランドの関係性にも当てはめることができます。

 警棒を持つストリックランドは多数派の現れであり、イライザたちと「彼」に対して弾圧をかけます。劇中で警棒でぼこぼこにするシーンがあるますがそれは昔からある白人が黒人に対して暴行を加える事件の象徴でもあります。「普通」な人が「普通」という警棒でthe others(非主流派)な人々を抑圧する。差別は昔から行われており姿が違うだけで暴力を加えられる。極めて普遍的であると同時に悲しくなります。パンフレットのインタビューでもデルトロはこう語っていました。

(デルトロ)「フランケンシュタイン」を見たときも村人たちに殺される人造人間が迫害された救世主に思えた。モンスターたちは普通であることに殺される殉教者だ。(中略)モンスターは完璧であることに迫害された聖人なんだ。人間は白か黒かとはっきりしろと迫られるのは恐怖でしかない。その点、モンスターは寛大だ。

 

人間が同じ人間を憎しみや暴力で支配する。人は他人に対して大多数と同じように行動しろといういわゆる「普通」を求めます。そしてさもそれが世の中の規範になり「常識」という考えになります。今作はそんな中で、「彼」の姿かたちは半魚人という生々しい見た目です。文字通りモンスターで、人間のように本心を隠すような存在ではありません。だからこそ純粋無垢な姿として描かれると思います。デルトロの言うように、怪物というのは言葉を持たず、存在そのものがあるがままの真実なのかもしれませんね。

 また、観賞中にふと思ったのですが、「バスルーム」というのも大事な要素の一つだと思いました。イライザは「彼」と親交を重ねるにつれ本当に恋愛関係になり、バスルームで二人きりになった時本当に身も心も「彼」と重なります。デルトロの過去作でもある「パンズ・ラビリンス」にも主人公であるオフィリアが迷宮の番人であるパンから受け取った本を見るときはバスルームに行って中身を確認するシーンがありました。これはこの世のものではないものとの交信の時は身も心も清められるバスルームという清潔な場所だからこそ可能だったのかもしれません。

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監督 ギレルモ・デル・トロ 脚本 ギレルモ・デル・トロ 製作 ベルサ・ナバーロ アルフォンソ・キュアロン フリーダ・トレスブランコ アルバロ・アグスティン 出演者 イバナ・バケーロ セルジ・ロペス アリアドナ・ヒル マリベル・ベルドゥ 音楽 ハビエル・ナバレテ 撮影 ギレルモ・ナヴァロ 編集 ベルナト・ビラプラナ 配給 アメリカ合衆国の旗 ピクチャーハウス 日本の旗 CKエンタテインメント

 

そして「彼」を脱出させるために自分の体をかけて助け出すことも共通していると感じました。「パンズ・ラビリンス」では最後パンやヴィダルに屈せず、自分の弟を助けるためにオフィリアは自分を犠牲にします。「シェイプオブウォーター」でのイライザも、「彼」を助けるために自分が犠牲になります。これはオフィリアの弟も「彼」も守るべきイノセントな存在であることの象徴だと思いました。

「シェイプオブウォーター」は冷戦、「パンズ・ラビリンス」ともう一つの過去作である「デビルズバックボーン」ではスペイン内戦という戦争を舞台にした世界観ですが、だからこそ声なき者の声を代弁したような作りだなと思いました。

 陰鬱な内容ばかりかといえばそんなことはなく、笑えるところは笑えるし、ちゃんと落としどころをわかっている監督の力量のうまさに圧倒されアカデミー賞を取ったことも納得するような作品でした。

1品目:シルバー事件考察~カムイと5人の殺し屋 前章

来る3/15。この日は個人的なD-dayです

 

そう。1年前から楽しみにしていたシルバー2425がいよいよ発売されるのです。

 

シルバー2425とは、1999年に発売された伝説的なゲームであるPS用タイトル「シルバー事件」とその続編である「シルバー事件25区」が同時収録されたタイトルです。

 

シルバー事件については今もPSソフトを手に入れたり、PS storeアーカイブとしてDLできるなど、手に入れる手段がまだ確保されているのだがシルバー事件25区(以下25に略)は携帯電話アプリという特殊な形態として配信されただけではなく、今はもうサービスそのものが終了しており事実上プレイ不可能となった幻のタイトルなのです。

 

この25区に関しては何度も発売される可能性は出てきたものの、その都度発売未定になっており、自分としてはまだかまだかと日々ネットで検索をしていた日々を思いだし、「これだけ待っても出ないということはもう出ないんじゃないか」とあきらめたような、又は「果たして自分が生きている間に本当に出るのか?」などほぼほぼあきらめたタイトルでした。しかし、2016年10月、まさかのPCで移植されるという衝撃的な日からポンポン調子で25区の復活も見えてきてようやく前述の日に出るという逆転劇が決まりました。

 

一時はどうなることかと思いましたがこれも須田さんはじめグラスホッパー・マニファクチュアの皆さん、そして翻訳スタッフの方々の力があってこそだと痛感して感動したのと同時に感謝しています。

 

そこで今回からシルバー事件に登場する殺し屋である「カムイ」と今まで自分が見た映画で「カムイ」と似た存在の殺し屋が出てきた映画を数本、独断と偏見で絡めて考察していきたいと思います。

 

 

 

はじめに

どうもこんばんわ(*^-^*) 海外ドラマや映画、ゲームが好きなmulholandと申します。

 

この度ブログをはじめまして、自分の考えを整理するためにも書き綴っていきたいと思います。

 

主に上記の物を中心にだらだら、まったりと書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。