Mulholland DINER

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自己を確立する旅『グリーンブック』※ネタバレあり

監督は「メリーに首ったけ」(98年)「愛しのローズマリー」(01年)を手がけたピーターファレリー監督。トロント国際映画祭 2018で観客賞受賞。そして本年度アカデミー作品賞5部門ノミネートの話題作がついに日本上陸。

 

人種の違う二人が音楽ツアーのために2ヶ月間旅をすることで互いの価値に気づき共鳴していくバディ作品。

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 ストーリー

時代は1962年。そこはニューヨークに位置する一流のナイトクラブ『コパカバーナ』。そこで用心棒を務めるトニー・リップ(演:ヴィゴ・モーテンセン)は腕っ節もよく、時にはハッタリもかます凄腕の従業員。がさつで不器用だが家族や仲間を大切にするナイスガイ。ある時お店が改装のため2ヶ月間閉店となってしまうため別の仕事を見つけなければならなくなり探しているところある人物が運転手を探していると紹介される。トニーが訪れた場所はカーネギーホールでそこにいたのは劇場の上のマンションに住んでいる黒人ピアニストであるドクター・シャーリー(演:マハーシャラ・アリ)。シャーリーはピアノコンサートを企画しておりコンサートツアー中の運転手を探しておりトニーが選ばれる。こうして二人の旅が始まるのですがその先に待ち受けていることは…

無意識内の拒絶心

本作を観てまず思ったのが、誰しもがある時に見せる差別心をあぶり出す場面がとても自然に描かれていることでした。

白人と黒人の人種問題。それは何十年という歴史上で避けては通れない問題。そしてそれは昨今の時代にも拭えないものとして我々人類の間ではびこっています。肌の色が違うだけで忌み嫌い、白人と黒人を隔離し、一方は清潔な場所を使いもう一方は不衛生な場所で物事を強いられる。

これまで作られたいろんな映画にもその問題から真正面に取り組んでいる作品は沢山あります。そしてそれらは観客である我々も、そのスクリーンで見ている間はそれを考えたり、見ることで何か感情を揺さぶられる。

 

本作もそんな差別の一端を描いているのですが、見ていくうちにこれまでの映画で描かれた展開と少し違うように感じられました。それは、誰しもが心の底にある差別心をふとしたことで自然に描いていること、でした。

もちろんわかりやすい展開はふんだんにあります。白人のみ入れるバーに一人で入っただけでそこにいる客にボコボコにされたり、警官がわざと挑発して殴らせ、署内の独房に入らされたり。そのシーンだけでも見ているとかなり居心地が悪いのですが、そういう「目に見える暴力」とは違った表現にフォーカスを当てています。

 

ドクター・シャーリーはピアノの才能があり、その腕は当時の大統領のパーティーに招待されそこで腕を振るえるくらいその才能は択一されたものでした。その腕を買われ富裕層のパーティーに招かれてはピアノの腕を披露しています。色んなお屋敷に招かれピアノを弾くのですがあるシーンで彼はそのお屋敷のトイレに立ち寄ります。しかしその場で止められてしまい、トイレを尋ねると外に設置されてある小屋を指差され「黒人はあちらです」というシーンがあります。そして次の町では用意された楽屋がものすごく窮屈な物置部屋であったり、また、最後のバーミンガムでのレストランではやはり黒人は立ち入り禁止でその理由が「昔ながらの土地柄」というだけの理由でNGをくらいます。

 

感情むき出しで黒人差別をしたり、露骨に暴力を振るう作品は今まで見てきました。しかしこの一連の会話の流れの中でそれを何の不自然さを感じず、さも当たり前のように告げる描写がきわめて自然なタッチで描かれて、今までの差別を扱った映画とは一味違うように感じられました。その風潮が当時としては「当たり前」という価値観になっているのはやはり見ていていたたまれないものを感じざるを得ない。

 誰もが持っている無自覚さ

トニーは道中、フライドチキン屋を目にしそこでチキンを買います。それを食べながらシャーリーにも渡そうとするのですが拒否されます。「黒人なのにチキン食べないの?」と思わずトニーは口走ってしまいますがここでも、「〇〇だから〇〇が好きに違いない」という誰しもが他人に対して一度は思ってしまうことが実は相手にとっては当てはまらないという誤解についてもディティールの一つとして取り入れているのでものすごくきめ細やかに綴っており、思わず感心してしまいました。

 

この映画の冒頭、トニーの家に黒人の修理業者が訪問し、帰る際にグラスに注がれたレモネードを飲み干します。それを見ていたトニーは業者が帰ったのを見てそのコップをゴミ箱に捨てます。他の映画だったらここで感情を爆発させて黒人を叱責するでしょう。しかしこの映画は感情を爆発させるシーンが少なく、ほんのちょっとした行為で人の嫌なところをリアルに描いている。それがまるで日常の一風景としてそれを入れることによって極めて普遍的なものであると感じます。

冒頭から別の人種に対し嫌悪感をもつトニーですが、しかし後のシャーリーとの会話で自分はその嫌っている黒人が生み出したR&Bやジャズを何の偏見も持たずに聴いていることがわかります。この「矛盾」も実に素晴らしい。

自分の価値観の無自覚さ。自分ではわからずとも他人から見ると気づく価値観の表れ。

そしてそれを見ている我々も「もしかしたら自分も同じことをしているかもしれない」とハッとさせられます。

 

そして中盤の雨に打たれながら「自分はこれほどまでに辛いんだ」と言い合うシーン。二人ともそれぞれマイノリティさを感じそれに打ちひしがれているけど相手も同じなんだ、自分も辛いが相手もこれだけ辛いんだとわかるシーンですが、これは「口に出して相手に伝えることがいかに大事なのか、思っているだけじゃ相手に伝わるわけもなく、お互いの主義主張を口に出して初めて意思疎通ができる」という、当たり前かもしれないけど人と人との関係で一番大事なコミュニケーションも形として描かれているのも素晴らしい。

 

人種が違ってもお互い疎外感を感じ、トニーはイタリア系でも「白人」であるからアメリカで何不自由なく生きていると思いがちで、シャーリーは黒人だけど自らも資産がたくさんあり、金持ちとの交流や大統領とも面識があるから生活に困っているようには思えないように見える。表面上だけ見える姿で人というのは物事を捉えがちですが、腹を割って話すことでようやくわかることがある。

 

非暴力を貫く不屈さ

 コンサートを終え夜中車を走らせるトニーとシャーリー。しかし後ろにパトカーが追い付きサイレンを鳴らされ止まるように言われます。唐突な職質を受けますが、後ろの座席にシャーリーがいるのが警官にわかります。それを見るやトニーに挑発をかける警官。思わずトニーは殴ってしまい、二人共独房に入ることになります。トニーはあまりのことに憤るが、反対にシャーリーは冷静に「暴力で解決しないこともある。己の尊厳で闘うんだ」と諭します。

 

その言葉は暴力を固辞し、徹底的な「非暴力」で戦った「マーティー・ルーサー・キング牧師」と重なるものがあり、彼の思想の根強さ、黒人解放のイコンでもあるとやはり見ていて思いました。

 

旅の果てで見つけたアイデンティティ

トニーとシャーリー。紆余曲折を経てたどり着いた最後の街であるバーミンガム。そこでもコンサートをするのですが、ライブの前にレストランに立ち寄ります。しかしやはりここでも黒人はNGと突きつけられます。支配人を問いつめるトニー。しかしそれ以上のことはせず2人はレストランを後にし、場末のバーに向かいます。そこは黒人の憩いの場となり、誰もが自然体で接することができる場所でした。その酒場の奥には1台のピアノ。思わずシャーリーはそのピアノに近づき、演奏の姿勢に入りました。

 

正直そのピアノは今までの旅で見たような、高価なグランドピアノではありません。質素な作りで値段も圧倒的に違うのが目に見えます。そのピアノを見つめ、思わずそれを手に取ります。やはり音楽家であるシャーリーはそこで曲を弾き始めます。弾いているうちに笑顔になるシャーリー。今までの旅では金持ちの白人のために演奏していました。ピアノも指定の物を使い、弾いているというよりはその人たちのために弾かされているような、見ていてちょっと息苦しさを感じるような、そんな感じに見えました。しかしここでは本当に弾きたい曲を弾き、観客のためにその手腕を振るう。

 

曲がった考えかもしれませんが、白人のために演奏をする姿は彼らのいいなりになっている奴隷のままである。しかし最後の酒場での、思いっきりピアノを弾き、人々の笑顔のため、そして何より自分のために演奏する姿はその支配からの脱却を描いている。そして何よりそれを手伝ったのは白人系であるトニーだった、というラストは感慨深いし本当に良かった、と思える旅の終わりでした。

 

痛みを分かち合う映画

この映画の最後はトニーの家のクリスマスパーティーにシャーリーが向かい入れられるラストで締めくくられます。二人とも全く正反対の国で育ちしかも当時の時代では根強く人種差別が残っている時代でした。そんな時代に一緒に旅をし、ときにはぶつかり合い、共に様々な経験をし、様々なものを目にし、最後にわかり合うこの映画は互いの価値観というのはいかにずれているか。そして互いの感情を吐露することで理解し合うことの尊さというのがよく現れた映画でもありました。また、差別というとどうしても悲しくなると思いがちですがこの作品はそれもありつつ随所で笑えるシーンが多々あり、鑑賞後は穏やかな気持ちになりましたね。ただ偏見を描くのではなくその奥のほうまで見れる作品でおすすめの作品です!